よこずき蛙の日記

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<<   作成日時 : 2008/06/19 12:03   >>

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あまりじっくりと戦時中の話を聞く機会がなかったのですが、
昨日は、一緒に行った車の中で、母から戦争の話を聞きました。

当時の事は、あまり思い出したくないし、話したらいけないと思い込まされてきたのか、聞く機会を逸していました。

当時、母は17歳、女学校の2年生(今で言う高校2年生)です。
学徒動員でしょうか・・・三菱重工の工場へ働きに行かされたそうです。

女学校の低学年の1.2年生(今で言う中学1.2年生)は、工場は危ないと言う事で、学校に残っていたそうです。
そこに炸裂爆弾が落ちたそうで、校庭に大きな穴があき、そこにいた生徒達は、見るも無残な姿になってしまったそうです。

夜は、空襲警報が出ますが、そうすると、家の中の電灯を消します。
爆弾が落ちてくるので、家にいると危ないと言う事で、蜘蛛の子を散らすように、それぞれが四方八方に逃げ惑うのだそうです。

母は、広くて、水のある方にと、思ったのでしょうか・・・・
三階橋という、川の方へ逃げたそうです。
しかし、上から見ると、川は、よく見えるらしく、いっぱい爆弾が降ってくるのだそうです。
なんともいえない音を立てながら・・・・

運良く、当らなかったそうですが、犠牲者もたくさん出たんだそうです。

飛行機が行ってしますと、また家に戻るのだそうですが、焼けてしまったおうちもあります。

そして、よく朝になると、犠牲者が一箇所に集められているそうです。

また、ある時、性別不能で、恐怖のあまり髪の毛が逆立っていた人が、防空壕に入れて欲しいとやってきたのですが、入りきれなかったそうで、扉が閉められてしまったそうです。

その後、どうなったかも分からない状態なのだそうです。

母が住んでいた家も焼けてしまったそうで、先月は、久しぶりにそこへ連れて行きましたが、懐かしいそうな感じと、なんだか重い感じと複雑そうでした。

負傷した友人も、野戦病院のような状態のところにいて、あれから、どうなったのか・・・・と。

先日行きました、名古屋ドームは、三菱重工があった場所で、爆撃で何人もの方が、犠牲になった場所だそうで、母は、あちらの方はあまり行きたがりません。

心の傷は深いということでしょうか・・・

同窓会の名簿を以前見せてくれましたが、戦争で亡くなったという欄の数の多さに、驚いた記憶があります。

戦後の高度経済成長の時代を育った私には、戦時中の生活がどんなものかは、よくわからないのですが、爆弾で一般市民が犠牲になることは、他の国で今でも、行われていると思うと、腹立たしい限りです。

戦争が終わった8月15日、父にその時何をしていたの?と聞きましたら、川で釣りをしていた、と答えました。
父は20歳で、学生さんでした。理科系でしたので、徴兵がまだ来る前に終わりました。

生きている間にもっといろいろ聞いておけばよかった・・・・・

母は、やっぱり、あまり話したがりませんし、話しても、話の内容が、わかりにくいのです。
これは、こちらの想像力の欠如なんでしょうね〜。反省。







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コメント(16件)

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戦争が終わって数十年の月日は過ぎましたが、
心の中の傷は・・・いまだに残っているのでしょうね。。。大きな傷跡です。

次世代に語り継いでいかなければならないこともあると思います。
みやび
2008/06/19 15:48
>みやびさん
暗めのお話に付き合ってくださってありがとうございます。
戦争を体験した人たちも高齢になり、伝わらないまま、次世代になってしまいそうです。
今の子供達にもピンと来ないのかもしれません。戦争の恐怖というのがどんなものか計り知ろうとするには、今の日本はあまりにも平和なのかもしれません。いい事ではありますが。
原爆ドームを見て思いますが、その時の辛さと向かい合う事が大事ですね。
よこずき蛙
2008/06/20 08:13
私の小学校はその三菱重工と同じ学区でした。
だから名古屋でも特に爆撃がひどかったそうです。小学校の子どもたちもたくさん爆弾で殺されたようです。私が小学生の頃には校庭の隅に慰霊碑がありました。

ちょっと前に『明日への遺言』という映画を見ました。日本側の残虐行為については戦後厳しく断罪されましたがアメリカによる残虐行為については一切不問です。

現代でもイラクやアフガンも勝者の論理がまかりとおってます。
竹島も尖閣諸島も千島も・・・
通行人その1
2008/06/20 09:13
>通行人さん
ずっとそこに住まわれていたのでしょうか?
母は徳○園の近くに住んでいまして、そこから川まで北へまっすぐ逃げたみたいです。かなりの距離ですが、その間に飛行機来ちゃいますよね。
女学校は市立第○で、今の○丘ですが、三菱ともずいぶん近く、目測誤って学校に落ちちゃったんでしょうか・・・
そのうち、焼夷弾で、母の家も焼け落ちたそうですよ。
爆撃によるご遺体は小学校に集められたと言っていましたから、通行人さんの学校もそれもあって慰霊碑があったんでしょうか・・。三菱重工が狙われたって言う話はずいぶん前から両親から聞いているので、三菱重工=爆撃ってイメージです。
米軍も進駐の時は、女子にひどい事をしたそうです。負けた方は何も言えず報道管制もひどかったそうですが、今でも、違う意味の報道管制は続いているように見えます。敗戦国のままですね。唯一、ほとんどの日本人が英語がしゃべれないって言う事が、反対に独立国として成り立っている理由かもしれませんね。高杉晋作が開国を迫られた時に、外人に向かって日本神話を語り出したという逸話がありますが、その気概が欲しいものです。
よこずき蛙
2008/06/20 09:39
戦争の体験者で、悲惨な体験を話したくないし、映像で観るのも嫌という人います。
私の両親もあまり話しませんよ。
二度と起こしてはならない教訓として、心に刻み込むことなのでしょうが、時代が風化し次世代の人がこの事をどう捉えるか?まで考えると?…今の大人の考え方で子供を教育している訳だから、どうでしょう?
戦前と戦後教育は違っているし、今は愛国心より、個人の自由権利を主張する時代…いろんな歪み、心の問題も出てきてます。
子供達に戦争の悲惨さを伝える重要性、絶対起こしてはいけないことを教え、人間愛を認識させる教育大事ですよね。
「いかなる理由があっても戦争はいけない」
この当たり前のことが分からない人が権力を持つと国民は悲惨です。


百合香
2008/06/20 11:06
>百合香さん
生きているうちに聞いておかないと知らないままでした。
世界で「平和憲法」を持てばいいのに・・・。
欲が深まると、信じられない事が起きますね。
国内でも、平和ではなくなってきました。
平和ってなんだろなぁ〜〜、国同士で食料や燃料危機に寄る奪い合いが始まっています。
日本も暗雲が立ち込めていますね、いろんな意味で。
戦争でもないのに、他人を信じて歩けない世の中って、・・・・。
こちらでは包丁男と自転車切り裂き魔が捕まっていません(><)あ〜たった今ひったくり情報がケイサツから配信されました・・・・。。。
よこずき蛙
2008/06/20 17:43
戦争の語り部と呼べる人もずいぶん少なく
なられました…
父は10年間も戦争に行っていたひとでした
がすでに亡くなって8年以上たっています。
母にはいろいろと戦争での出来事を話して
いたようですが、子どもである私たちは
よく知りません。
母は大阪でもやや田舎だったせいかよこずき蛙さんのお母様のような大変な経験はしていないようです。
もうすぐ「火垂の墓」の実写版が封切りになりますね。名作ではありますが、かわいそうでつらくて恐ろしくて見ようという気になりません。でも戦争の悲惨さは繰り返さないためにも忘れてはいけないことですね。

お母様のこんなお話を聴く機会が持てて、良かったですね。
プチ・ミニ
2008/06/20 22:20
ほんのタイミングから、
私も戦争の事をUPする事になりましたが。。。
これも、最近は特に「自己中心的なor快楽的な」理由で起きる事件が多くなってきた事も、心に引っ掛かってたのもあります。

終戦に誕生した人でも、もう人生の折り返しを過ぎた・・・長い年月が経ってる筈なのに、今でも「その時代」を忘れたくても忘れられないでしょう。
悲しく、悔しいからでしょうね〜。
勿論、恐怖も・・・。
人間が根本から考えないと無くなりません。
我欲とか、差別とか・・・も含め。。。
マリルン
2008/06/20 22:21
2002年にこんなことがありました。
『戦争体験を語り継ぐ会』で語りたくなかったが、風化させてはならぬと、語り始めた人々がいます。その中に積極的に学校などにも語りに行っている知人がいます。
その頃、ブログの存在が無かったので、書いていた、私のHPの掲示板に10月17日訪問者がありました。
その方は、予科練時代のお父様の坂本での様子が知りたいとのこと、知人に聞いてみました。
『語り継ぐ会』に予科練だった人がいて、親切に名簿を探してくれ、まったく偶然に、お父様の知り合いが、その方の近くにお住まいだと分りました。
この会に参加したときの事は、2002年11月2日に書いています。
そのときの経緯はこちらにありますので、もしよければお読みください。
<http://www4.ocn.ne.jp/~zimmer/board0210.html>
ふぁお兵衛
2008/06/21 08:43
>プチ・ミニさん
「火垂の墓」は1回見ましたが、アレが実写版ですか・・・。
原作者が、「あんないい兄ではなかった、ぐったりして首も座らなくなる妹がいなくなった時、ほっとした」という事を言っていて、あぁ、戦争とは、感傷的なものではなく、もっとぎりぎりのものなんだと思いました。
戦後で価値観が変わってしまって、どのように考えたらいいのか、わからないまま現在に至る感じを受けました。
戦後教育を受けた私達は、何が真実なのかさっぱりわかりません。
(明治以降の歴史はすっ飛ばし)ただ、普通に生きている人が、犠牲になる・・そんな事が世界でいまだに起こっているということを聞くと、人間って情けない生き物だナァ〜と思います。自分の親が戦争を体験したことすらも忘れてしまうところでした(;;)
戦争に行っておられたお父様のお話、聞いてもよいのか、迷いますね。昔の古傷をえぐるような感じで・・・。
自分から語ってくれる事を願うばかりです。
よこずき蛙
2008/06/21 09:50
>マリルンさん
最近のニュースは、見ると腹立たしい事ばかりです。
犠牲になった人たちは懸命に生きていた人たちばかり。
戦争の犠牲者と同じようです。
でも、戦争は罪に問われません。
負けた国が敗戦国として、勝った国の言いなりになるのみです。
兵隊という言葉が、あるうちはダメですね〜・
とはいえ、義理の兄が○衛隊なんです。
こうなると、もう、ない頭では考えられず、最後には、平和な世の中にたまたま生まれた私は運がよかったのかなぁ〜と、思っています。
だんだん、何言ってるのかわからなくなってきました。
よこずき蛙
2008/06/21 09:57
>ふぁお兵衛さん
語り部さんたちが、そう思っていただくまでには、どうしてもそのくらいの時間がかかってしまったのでしょうね・・。
思い出したくない・・・・
言っていいのかわからない・・・
話したら、なんか不都合があるかも・・・
などなど・・と想像してしまいます。
記事をぜひとも拝見させていただきたいのですが、アドレスの最後が切れてしまって飛ぶ事ができません。もしよかったら、もう一度、教えていただけませんでしょうか。
アドレスを辿って近くでは行けたんですが・・
たまに、老人施設に慰問に行って、戦争体験者を前に、演奏しますが、大変な時代を乗り越えてきた人たちが、この時代をどう感じていいるのか・・・なんだか、申し訳ない思いがするのです。後期高齢者なんて、最悪です。
よこずき蛙
2008/06/21 10:09
すみません。あのHPは、 一から私が作ったのですが、フレーム構造にしていたのをすっかり忘れていました。単に記録のつもりでしたので、見やすいとかという親切心がないのです。(プライバシー保護の気持ちも少し有り)

『談話室総集編』の表紙が↓このURLです。

<a href="http://www4.ocn.ne.jp/~zimmer/board_m.html" target="_blank">http://www4.ocn.ne.jp/~zimmer/board_m.html</a>

1ヶ月が1ページになっています。2002年10月、11月分に分け入ってご覧ください。

それとなく、だらだら書いていますので、ご参考になるかどうか分かりませんが・・・・。

この会単独のHPがあったのですが、言いだしっぺの女性が亡くなられて、HPも見つかりませんでした。全国で組織化しているみたいでしたけど・・・・。
ふぁお兵衛
2008/06/21 12:11
>ふぁお兵衛さん
ありがとうございました。
伺う事ができました。
その会のお話を聞いてみたい気もしました。
そういう出会いがあったこと、本当によかったですね。
また、そうやって、次世代がつながっていけるのも人間だからでしょうね〜。感慨深いです。

おかげさまで、坂本のお坊に行ってくる事が出来ました。
私はお話を聞いているだけでしたが、お花の事を楽しそうに話されていて、暖かな気持ちになりました。
坂本は風情のあるところですね。もっとゆっくりしたかったのですが、それはまた、次回に譲る事といたします。
よこずき蛙
2008/06/21 18:07
今日は沖縄の慰霊の日のようですね。

多くの尊い命の上に今の時代があることを考えるなら,二度と過ちを繰り返してはいけませんね。

愛国主義,国歌斉唱,国旗掲揚,おおいに結構なことですが,互いを愛せないならそれは過ちの火種でしかないと私は思います。

人間は学ぶ力があります。過去から学び,引き続いて平和を守りたいものですね。
田舎もん
2008/06/23 19:44
>田舎もんさん
沖縄は、琉球国という独立国だったことも、子供の頃は知りませんでした。
いろんな国に支配され、犠牲になった人は数知れず。
それでも、沖縄の人は明るい感じがします。
戦争を主義主張で語ることはしたくありませんね。

平和とはなんなのか、考える事が必要だと思うのに、考える事を放棄してしまっているような今の日本です。残念。
よこずき蛙
2008/06/24 15:33

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