東岡崎駅から岡崎公園前まで
久しぶりの電車ハイキングです。
春は、事情でなかなか行けませんでしたので、残念でした。
今回は、秋の第1回目です。
7.5キロでしたが、うろうろ寄り道しましたので、もう少し歩いてます。
まずは、東岡崎駅から歩いて、着いたのは、六所神社です。
あちらこちらに三つ葉葵の紋がついてます。ひかえおろ~~
徳川家康の産土神として崇敬をうけ、今の社殿は、家光によって再建されているそうです。
国の重要指定文化財に指定されています。
楼門も高さのある階段を昇ります。
楼門の中には、大きな獅子頭↓
これは家康の手形・・・どこにあったんでしょうね~~?
思ったより小さいかったです
ここへ出ますが、この神社の鳥居はかなたに見えます。
私達はここを右に歩きます。
乙川沿いを歩いて・・
欠町・二十七曲りの碑です。
岡崎城下二十七曲り 岡崎城下を通る東海道は、その曲折の多さで知られ、通称二十七曲りと呼ばれていました。享和元年(1801)当地を見聞した大田南畝も「町数五十四町、二十七曲ありとぞ」と「改元紀行」に書いています。
碑には、
二十七曲りは、田中吉政が城主だった時(1590-1600)城下に東海道を導き入れたことに始まり、のち本田康重が伝馬町を慶長十四年(1609)創設して以後、道筋がほぼ決定したと思われます。このねらいは城内を防衛するためのものと言われますが、これにより岡崎の城下町は東海道筋の宿場町としても繁栄することになりました。
二十七曲りの一部は、戦災復興の道路整備などにより失われはしたものの、現在でもその跡をたどることは可能です。この歴史の道とも言うべき二十七曲りを後世に伝えるために、城下二十七曲りの東口であった当所に記念碑を建て、道標とします。と書いてありました。ほんとに27あるんでしょうか・・・
歩いている途中には、こんな案内があります。
金の草鞋ですね~
岡崎郷土資料館です。
この洋風の木造建築物は、大正2年に額田郡公会堂として建設された。
また、旧額田郡物産陳列所は、同年に公会堂北側の対面した位置に建てられ、昭和36年に現在血の公会堂の南東側に移されたものである。
現在は公会堂は岡崎市郷土資料館、物産陳列所は同館収蔵庫となっている。
地方都市における公共建築の近代化を示すと共に、地方における西洋建築の様式的、技術的修得過程の達成度を示す建築遺構としての意義が認められる
とありました。
建物の前にこんな銅像が・・・・
夫は、直立不動のこの方を見て「田端義夫みたい」(本人は東海林太郎と言いたかったようですが、出てこなかったようです。田端義夫はギターを持った人ですよね)
確かに東海林太郎に雰囲気似てる~~↓
で、説明を読むと・・・・こらぁ、何たる失礼な!
この方は、分子進化の中立説を提唱されて、世界的遺伝学者・文化勲章まで贈られた岡崎名誉市民の
「木村資生博士」です。←詳しく知りたい方はクリックどうぞ!
いや、田端義夫東海林太郎がひどいわけじゃありません。人違いが失礼なんです。
岡崎信用金庫資料館
旧商工会議所です。
大正6年岡崎銀行本店として建てられた赤レンガと花崗岩の組み合わせによるルネッサンス風建物です。
戦後商工会議所として使われていました。現在は上記のように一般公開されています。
岡崎の中心街に来ますとやはり、家康公生誕です。
岡崎公園前を歩道橋からパチリ
岡崎城←クリックどうぞ
ではありません。公衆電話です。↓
本物はこちら↓
家康が生誕した場所・・・今では二の丸能楽堂です。
不思議な気配があります。
公園の中にはこんな銅像が・・・・
もちろん家康公です。
↓小瀧喜七郎・・?????・・・・
調べてみたら、第4代岡崎市長さんでした。他の市長さんはないんですかね?
それにしても銅像多いです。
城壁です。何故かソテツが生えています。
今日は、天守閣からこんなおめでたい方々を拝見させていただきました。
綿帽子、白無垢姿の花嫁さんと花婿さんです。
いい事ありそう~~
最後は岡崎の有名な八丁味噌の味噌蔵見学です。
ここで、小さなお味噌パックをもらいました。
こんにゃく田楽の試食もしましたよ。
歩き終わりにはラッキー賞。
私達夫婦共に当りました。珍しいんですよ、こんなこと。
でも、その横ではずれた人が大声で怒鳴って行きました。
係の人も苦笑いです。
「いろんな人がいるんですよ~」って。
春は、事情でなかなか行けませんでしたので、残念でした。
今回は、秋の第1回目です。
7.5キロでしたが、うろうろ寄り道しましたので、もう少し歩いてます。
まずは、東岡崎駅から歩いて、着いたのは、六所神社です。
あちらこちらに三つ葉葵の紋がついてます。ひかえおろ~~
徳川家康の産土神として崇敬をうけ、今の社殿は、家光によって再建されているそうです。
国の重要指定文化財に指定されています。
楼門も高さのある階段を昇ります。
楼門の中には、大きな獅子頭↓
これは家康の手形・・・どこにあったんでしょうね~~?
思ったより小さいかったです
ここへ出ますが、この神社の鳥居はかなたに見えます。
私達はここを右に歩きます。
乙川沿いを歩いて・・
欠町・二十七曲りの碑です。
岡崎城下二十七曲り 岡崎城下を通る東海道は、その曲折の多さで知られ、通称二十七曲りと呼ばれていました。享和元年(1801)当地を見聞した大田南畝も「町数五十四町、二十七曲ありとぞ」と「改元紀行」に書いています。
碑には、
二十七曲りは、田中吉政が城主だった時(1590-1600)城下に東海道を導き入れたことに始まり、のち本田康重が伝馬町を慶長十四年(1609)創設して以後、道筋がほぼ決定したと思われます。このねらいは城内を防衛するためのものと言われますが、これにより岡崎の城下町は東海道筋の宿場町としても繁栄することになりました。
二十七曲りの一部は、戦災復興の道路整備などにより失われはしたものの、現在でもその跡をたどることは可能です。この歴史の道とも言うべき二十七曲りを後世に伝えるために、城下二十七曲りの東口であった当所に記念碑を建て、道標とします。と書いてありました。ほんとに27あるんでしょうか・・・
歩いている途中には、こんな案内があります。
金の草鞋ですね~
岡崎郷土資料館です。
この洋風の木造建築物は、大正2年に額田郡公会堂として建設された。
また、旧額田郡物産陳列所は、同年に公会堂北側の対面した位置に建てられ、昭和36年に現在血の公会堂の南東側に移されたものである。
現在は公会堂は岡崎市郷土資料館、物産陳列所は同館収蔵庫となっている。
地方都市における公共建築の近代化を示すと共に、地方における西洋建築の様式的、技術的修得過程の達成度を示す建築遺構としての意義が認められる
とありました。
建物の前にこんな銅像が・・・・
夫は、直立不動のこの方を見て「田端義夫みたい」(本人は東海林太郎と言いたかったようですが、出てこなかったようです。田端義夫はギターを持った人ですよね)
確かに東海林太郎に雰囲気似てる~~↓
で、説明を読むと・・・・こらぁ、何たる失礼な!
この方は、分子進化の中立説を提唱されて、世界的遺伝学者・文化勲章まで贈られた岡崎名誉市民の
「木村資生博士」です。←詳しく知りたい方はクリックどうぞ!
いや、
岡崎信用金庫資料館
旧商工会議所です。
大正6年岡崎銀行本店として建てられた赤レンガと花崗岩の組み合わせによるルネッサンス風建物です。
戦後商工会議所として使われていました。現在は上記のように一般公開されています。
岡崎の中心街に来ますとやはり、家康公生誕です。
岡崎公園前を歩道橋からパチリ
岡崎城←クリックどうぞ
ではありません。公衆電話です。↓
本物はこちら↓
家康が生誕した場所・・・今では二の丸能楽堂です。
不思議な気配があります。
公園の中にはこんな銅像が・・・・
もちろん家康公です。
↓小瀧喜七郎・・?????・・・・
調べてみたら、第4代岡崎市長さんでした。他の市長さんはないんですかね?
それにしても銅像多いです。
城壁です。何故かソテツが生えています。
今日は、天守閣からこんなおめでたい方々を拝見させていただきました。
綿帽子、白無垢姿の花嫁さんと花婿さんです。
いい事ありそう~~
最後は岡崎の有名な八丁味噌の味噌蔵見学です。
ここで、小さなお味噌パックをもらいました。
こんにゃく田楽の試食もしましたよ。
歩き終わりにはラッキー賞。
私達夫婦共に当りました。珍しいんですよ、こんなこと。
でも、その横ではずれた人が大声で怒鳴って行きました。
係の人も苦笑いです。
「いろんな人がいるんですよ~」って。


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